どう生きるかの大切さ!人生は一回きり!
こんにちは!
今回のテーマは、生きる事と死とは?です。
この一週間ちょっと精神的にかなり参っていまして。
ある方の訃報を知りました。
ショックでした!年配の女性で闘病中だったのですが、私はどこか「大丈夫だろう!」「まだまだ死なない!死ぬはずなんてない!」と思い込んでいましたが、実際はとても厳しい状態だったんだろうと!
もう強烈にシヨックで本当に上の空とはこういう事なんだな!とぼんやりと実感したり。なんだか心にぽっかりと穴が開いてしまっていつまでも穴が埋まらない状態です。子供に話しても、全く見知らぬ人の死を突然知らされても、「あっそう!ふ~ん!」の反応になるであろうことは、分かっているのでわざわざ言いませんし、周囲に話すという事でもないだろうし、でも誰かには聞いて貰いたいのです。
で、ここに書いてしまいました。
私自身、死を意識したことなんて、今までそんなになく、乳がん検診で二回引っかかり精密検査をするように言われたときはさすがに不安になり、小さい子供を残しては死ねない!と強く思いましたが。
近親者では小さい頃に祖母が亡くなりましたが、あまり記憶がないのです。ぼうっとしか覚えていなくて辛い悲しいという感情は全く湧きませんでした。
ただ死んでしまったんだ。葬式や火葬場でのするべきことを親族側が機械的に行っているのをただ自分は見ているだけでした。もちろん幼かったというのもありましたが、本当に悲しくはありませんでした。
後はDV夫と一緒にいたころ。DV夫の祖母が亡くなった時です。
この時は、ただ馬車馬のように動いていました。婚家の親せきに挨拶や食事など。ここは田舎なので、自分の家で全て行う形式でしたので、よく分からないまま動かされていましたね。今時自宅で葬式やら全部するってどうなの?と思いましたが、そんな事言えるはずもなく・・・
DV夫の祖母は自殺でした。がん末期の末期になり、生きる気力を失ったのか?辛い今の身体の症状に耐えられなくなったのか?分かりませんが、もう死んでもいいと、生きていたくないと思ったのでしょう。
深夜自宅の一室で首をつってしまいました。
生まれてくるのも一人。死んでいくのも一人なんだな。
今まで彼女はたくさんの困難を乗り越え、家族を大切に仕事もし、闘病もし、自分が死んだ後で家族が困らないように、エンディングノートを作り、墓や葬儀の細かな事を決め、死後の自分の遺品整理まで、出来るところまでを済ませて、最後は一切の治療をやめ、笑って楽しく過ごし、温かい言葉や励ましを胸に抱えて、家族に見守られて旅立って逝きました。
私は彼女の人生のほんの一部しか知りませんが、彼女の情の深いところ。優しくて厳しくアドバイスするところ。いろんなことを感じていて、時には脆くて泣いてしまうところも知っていて。
つい自分と重ね合わせてしまい。
彼女の人生はとにかく波乱万丈。私も自分で波乱万丈な人生だなと思っていましたが、彼女の方が一枚上でしたね。私には到底まねできないし、自分だったらどうしただろうという苦悩や葛藤や世間の差別を抱え、自分はがんでステージ4の末期って!
太く短く内容の濃い人生だったのかな?
やり切ってやり切って思い残すことなく旅立っていきました!
「いつ人は何が起こるかなんてわからない」
コロナにかかり悪化して亡くなるかもしれない。事故に遭って半身不随になるかもしれないし、それこそ今は二人に一人ががんになる世の中です。若いからって病気にならない保証なんてないのです。悔いのないように生きる事。明日は何があるかなんて誰にも分からない。
「人生は一度きりだから、楽しまなくては損だよ。」彼女はそう笑っていました!
分かってはいても自分が健康だと「実感がわかない」のです。
でも今だけは実感できます。
これからの自分はどうすべきなのか?
どうあるべきなのか?
今葛藤しています。
今回は普段のテーマとは少し外れてしまいましたが、記事にしたいと思いましたので投稿しました。正直まだ立ち直れていません。
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